この度、セクシャルマイノリティと医療・福祉・教育を考える全国大会様主催の『セクマイ大会プレ企画1』にて

『鏡をのぞけば〜押された背中〜』の上映会を開催くださいました。
上映会後には、作り手からは奥村と河上、演じ手からは石原とチロの4名がアフタートークとして、制作や演技の意図や苦労、伝えたかった事、昨今の性的マイノリティを取り巻く状況についてお話させていただきました。
石原からは、性別に纏わる属性という面で、自分に被る役を演じた事で、自分のセクシャリティに向き合い学んだ経験について語られました。
奥村からは、経産省の最高裁の判断におけるトランスジェンダー当事者の脱医療化に逆行したともとれる判断に対する不安を語られました。
チロからは、LGBT理解増進法について、理解を促し生きやすくすべく対象は性的マイノリティであるはずなのに、マジョリティへの配慮が持ち出だれた事への不快感を語られました。
そのあとは、来場者の皆様とグループに分かれてショートムービーの感想のシェアなどの時間をいただき、直接感想を伺わせていただきました。
その場で来場くださった方から直接、対面で感想を聞かせていただけたことは、ありがたかったです。
最後に、主催者から、いつまでもトランスヘイトに対する抵抗に、当事者を先頭に立たせてはならないという言葉で閉幕されました。
今SNSをはじめ、リアルな場においても、政治家らによるポジション確保や、著名人らによる視聴数などの数字集めの為に、トランス女性はじめ性的マイノリティを市民の脅威であるかのように語り、恐怖と憎悪を煽るというような事が繰り返されています。

扇動者らは、誤った情報を利用して『私たちは女性と子供たちの安全を守らなければならないから、彼らの権利を認めてはならない』という理論で、多くの人の恐怖を生み出し、「女、子どもを守る」と言いまわり、人種差別を正当化させようとします。
この流れは、突然に発生したわけではなく、人々の心に「女、子ども」の安全を脅かしかねない存在であるという偏見や思い込みを、扇動者らに言葉に巧みに刺激され、性的マイノリティは女性や子どもの安全を脅かしている存在であると、彼らの人権は抑制されて然るべきであるという考えに導かれます。
その一つの原因として、これまでメディア等により『笑いのネタ』『性的なネタ』として消費されてきたことが大きいと考えます。

その積み重ねが、性的マイノリティに対するヘイトが今、SNSに止まらずリアルな場にまで侵食してきたという状況を生み出したのだと考えます。
実際性的マイノリティの現実を生きる姿というものは、性的マイノリティでないものからしてみれば、実に退屈でくだらない日常の繰り返しがそこにあるだけで、それは性的マイノリティでない人と同じなのです。
そういう姿は、性的マイノリティに肯定的であれ、否定的であれ、誰にとっても需要がなく、そんな姿よりも、非現実的かつ非日常的な姿の方が、エンターテイメントという方向から見れば需要があるのです。
しかし、需要があるからといえ、それに応える為に、性的マイノリティの人権を踏み躙っていいわけではありません。
そして、この問題は需要に応えるメディアだけの問題だけでなく、需要を生み出す消費者である私たちの問題でもあります。
歪んだ性的マイノリティを取り巻く需要と供給により築き上げられた偏見を正すのは、当事者自身のリアルな姿であると考えます。
いかに、これまで積み上げられてきた当事者の姿が出鱈目かつ非現実的であるか気付いてもらう必要があると思います。そしてリアルな場に生きる当事者の姿は、現実的であるかを知ってもらう必要があると思います。
ちなみに、chatGPTにトランスジェンダーを題材にした漫才のネタの作成を依頼すると、トランスジェンダー当事者らに対する差別的な行動に繋がりかねない為、政策を嗜められたという話を聞きました。
AIの進化に、夢や希望を抱く一方で、いずれ抜かされる不安を抱く声をよく耳にします。
しかし、私たち人間は、既にAIに人権において大差をつけられ置いてけぼりを喰らっていると感じます。
改めて、人権についてアップデートが必要であるとchatGPTの話を聞いた際に思い知らされました。
素敵な機会を与えてくださったセクシャルマイノリティと医療・福祉・教育を考える全国大会様と、暑い中来場くださった皆様には感謝しかありません。
本当にありがとうございました。


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